石川県七尾市和倉温泉地域で復興支援に参加した学生レポート——立教チームとして目指すもの=“VISION”を創る

立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震) 文学部史学科3年次 宇野 美咲さん

2025/01/07

立教生のキャンパスライフ

OVERVIEW

8月16日(金)?21日(水)の5泊6日で行われた「立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)」の第2弾。その活動に参加し、石川県七尾市和倉温泉地域において復興支援に取り組んだ宇野 美咲さん(文学部史学科3年次)にレポートしてもらいました。

立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)とは

授業のゲストスピーカーとして話す宇野さん

何となく授業を受けて、何となくサークルに行って、何となくバイトをして、何となく遊んで。本当に私の大学生活はそんな感じでした。何となくの日々も気づけば2年が過ぎていて、周りの流れに飲み込まれるように就活に着手。私、大学生活何をしていたのだろう。自分と向き合えば向き合うほど、自分の大学生活の空虚さに気づかされました。やりたいこともない、途方に暮れている、まさにそんな日々。それでもどこか諦めきれなかった私は、なにかを始めたい、何かを見つけたい、どこか縋るような気持ちで大学からのメールを見ていました。

そんなときに見つけたのが、このプロジェクトの募集。一人で応募するには勇気が要りましたが、勢いに身を任せて応募したのを覚えています。その後、無事に採用されて、5泊6日での参加が決定。気合が入りました。
「ボランティアのニーズを掘り起こすこと」。ボランティアは求められているのか否か。後者だとしても、ニーズは本当にないのか。第2弾の活動ではこの見極めが求められました。現地の声を引き出し、なにが必要とされているのかを考える重要性を強く感じ、現地へ向かうことに。

私は被災経験も、被災地に行ったこともありませんでした。和倉温泉駅に降りて、目の前に広がった初めての「被災地」の光景に言葉を失う私。隆起した地面やはがれたタイルに何度もつまずきました。自分の体が、和倉に何度もぶつかりました。

青林寺の中庭整備

2日目から本格的な活動がスタート。この日は「青林寺」での活動。私は中庭の整備をさせていただきました。苔に混じって生えた雑草を鎌で刈ってゆく作業。勝手に、自分たちだけで取り組むものだと思っていましたが、受け入れ先の青林寺の方も一緒になって取り組んでくれました。そこでは、ボランティアや震災に限らず、大学のことや趣味のことなど、たくさんの会話が生まれました。

午後は副住職からの提案で「坐禅体験」と青林寺の名物になっている「リフレクション撮影※1」をさせていただくことに。リフレクションのその美しさに、素直に感動したのを覚えています。一方で、「ボランティアってこれでいいのかな?」とも思いました。

※1 鏡面テーブルに中庭の美しい景色を反射させて撮影する拝観者に人気のアクティビティ

信行寺での草刈り

3日目、この日は「信行寺」という別のお寺での活動。敷地内整備という名の「草刈り」。そのうえ、この日は前日と違い、立教チームのメンバーだけでの活動でした。受け入れ先の方とは、挨拶を時折かわす程度です。午後になっても敷地整備の続き。目に見える成果は上がるものの、「ボランティアってこれでいいのかな?」と、この日もまた思いました。

暑さにだんだん体力が奪われてゆく中、作業時間も残すところ2時間ほどになった頃だったと思います。それまで私たちによそよそしかった受け入れ先の女性が、差し入れを持ってきてくれたのです。アイスをひとり2個。私は単純に困りました。「溶けちゃうよ???」と思いながら、2つ頂いたのを覚えています。アイス休憩中、女性が不意に自分語りをはじめました。初めて会った私たちに、どうして急に自分のことを話そうと思ったんだろう。私の中でまた新たなもやもやが生まれました。

立教チームとして目指すもの=“VISION”を創る

現地の方々のペースで進める活動。そして、おもてなしに触れる日々。現地で実際に取り組んだ活動は、私の中にあった、泥まみれになるような、筋肉が悲鳴を上げるような、そんな災害ボランティア像とはかけ離れていて、不安さえ感じました。

私たちのチームの目的は、「令和6年能登半島地震における災害被災地の復旧?復興に、立教チームとして貢献する」こと。頭では分かっていたはずなのに、実際に現地での活動をはじめた私は、何がどうなれば貢献と言えるのかを見失っていきました。「貢献」という2文字があまりにきれいで大きすぎて、その実体を掴むことができずにいたのだと思います。身体を動かし、現地の声に接する時間が増えるほど、“何のために、何をすべきか”がわからなくなってしまいそうでした。もっと明確で、チームのメンバー全員が意識できるような、そんな手のひらサイズの目標を求めていました。

私の違和感は、すでに動いているプロジェクト自体を批判するもの。今から何かを変えられるとは思っていませんでした。だからこそ、この感情をどうすれば良いのかを迷って悩んで。見ないふりもできましたし、今までの私だったらきっとそうしていました。

迎えた3日目夜。「私たち」のもっとミクロな“目指すべきもの”を、どうにかしてメンバー全員で描けないかと、元気さん(同行したボランティアコーディネーター)に話してみることにしました。自分の想いを誰かに伝えることが苦手だったのに、そんなことなんて気にならないくらい、熱く語っている自分がそこにはいました。

後押しを受けた、その日の振り返りの時間。私一人のものだった違和感のストーリーを、プロジェクト全体に関わる提案を、他のメンバーに初めて共有しました。どうしてこう思ったのか、これからどうしたいのか。秘かに、めんどくさいと感じた人がいたかもしれません。ですが、メンバーみんな、首を縦に振ってくれました。

私のストーリーから、私たちのストーリーを紡いでいく日々が始まりました。私が進行役を務め、それぞれが想うチームとしての目標を共有していき、その重なりから、いくつかの方向性を確認しました。みんなの想いは同じように見えて、詳しく聞けば少しずつ違っていて。だからこそ、みんなの解釈を一致させるために、多くの時間を費やすことになりました。私自身、「自分の提案にみんなを巻き込んでおいて、何もうまくできない自分」に、押しつぶされるような感覚もありました。他のメンバーもそれぞれに、何かを乗り越えようとする日々だったと思います。

最後の夜の話し合い

本来であれば、早々にこの目標を設定して、その目標に向かって活動に取り組むはずでした。しかし、なんとか完成にこぎつけたのが最後の夜。予定通りにはいきませんでした。でも、時間がかかった分、私たちが現地の方々から受け取った切実な声を、目いっぱいに反映させることができた、というのもまた事実です。最後は元気さんにファシリテーターを委ね、私自身もみんなと同じ、一メンバーとなって、走り抜けました。

私たちが目指したいものの軸は、2つ。それぞれについて、活動の場で見て聞いて感じたことから生まれた想いを、“VISION”としてまとめました。

①「和倉に対して」

和倉温泉地域は、ホスピタリティ溢れる全国屈指の観光地です。私たちは活動中、本当にたくさんのおもてなしを受けました。震災後、時が止まったままだった観光業やおもてなしという和倉にとっての日常が、ほんの少しでも動き始めたこと。そのきっかけの一つになれたこと。震災という出来事に埋め尽くされて、心の奥に仕舞われてしまっていた住民の方の記憶や本音に触れたこと。他にも活動中に得た期待やヒントをもとに、「和倉に対して」私たちが目指したいものをまとめました。

和倉に対して

大切なのは“人”と“人”の「架け橋」になるということ。ボランティアという「よそ者」としての立場から現地に関わる私たち。住民が主体であるまちづくりを目指すため、私たちだから聞けた話を、誰かに繋げられる「架け橋」のような存在でありたい、という思いを込めています。

②「和倉に限らず」

震災に対するアクションは、なにも現地に対するものだけではありません。学生ボランティアに期待すること、住民の方々が声をそろえて言ったのが「情報発信」でした。私たちは何のために情報発信をするのか。その、キーワードは「当事者意識」でした。

情報発信を通じて多くの人の当事者意識を引き出し、社会全体の意識を変えていきたい、そんな想いを込めています。

和倉に限らず

私の小さな違和感から始まった、VISIONを描くための話し合い。それはもう、私のものだけではなくなっていました。一人ではできないことも、仲間を信じ、自分を信じれば、必ず道は開かれるのだと知りました。誰一人欠けることなく、全力で向き合えたことを、私は誇りに思います。

元々設定されていた大きな目的(MISSION)に対して、その抽象度に惑わされないように、これらのVISION(目指すべき状態)を設定しました。これが、立教チームの行動指針となります。

VISIONを加えたプロジェクトの概要

このプロジェクトに参加して、変わったこと。

目に見えることで言えば、所属する「地域研究ゼミ」での卒業論文における研究地域を、和倉温泉地域にしたこと。“何となく”であふれていた日々の中に、目的をもって取り組みたいことができたこと。でもそれ以上に、私の中で新たな変化がありました。

ある授業に呼んでいただき、能登での活動を伝えたときのこと。受講生からの質問の中に、「将来の夢はなんですか?」というものがありました。その時の自分にとって、一番難しい質問に思えました。しかしそこには、自分でも思ってもみなかった想いで言葉を紡いでいる自分がいたのです。その日の自分の言葉をそのままの状態で引用します。

———将来の夢は、一番迷っていて…。
夢というか、どういう人間になりたいかなって考えたときには、「いたるところに、思いを馳せる相手がいる人間」になりたいっていうのが、すごく根底にあります。

どこかで何かが起こったときに、そこに想いを馳せる機会があればあるほど、“人とのつながりを感じられる”じゃないですけど、“自分が生きてきた証”がすごくそこにはあるなっていうふうに思ったので、それをひとつの軸として、職業だったり、職種を選びたいです。

他の何かに目をくらませることなく、今のこの価値観を大切にできる生き方ができればなと、今は思っています。答えになっているかわからないんですけど。———


私はこんなことを心の底では考えていたのかと、自分でも驚かされる不思議な時間でした。今回の経験が、自分が思っている以上に私にとって大きなものになっていることに気づきました。自分も知らなかった自分が教えてくれた素敵な生き方を、大切にしたいと思います。今のこの気持ちを忘れることなく、これから先も日々を愛でながら、丁寧に、着実に、生きてゆきたいと思う次第です。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。

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