石川県七尾市和倉温泉地域で復興支援に参加した学生レポート——立教チームとして目指すもの=“VISION”を創る
立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震) 文学部史学科3年次 宇野 美咲さん
2025/01/07
立教生のキャンパスライフ
OVERVIEW
8月16日(金)?21日(水)の5泊6日で行われた「立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)」の第2弾。その活動に参加し、石川県七尾市和倉温泉地域において復興支援に取り組んだ宇野 美咲さん(文学部史学科3年次)にレポートしてもらいました。
立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)とは
立教大学ボランティアセンターでは、「令和6年能登半島地震」において大きな被害を受けた石川県七尾市和倉町(和倉温泉)を拠点に、同地域の復旧?復興に向けた支援活動に取り組む「立教チームでつなぐ被災地支援プロジェクト(令和6年能登半島地震)」を立ち上げました。現地調査や活動先調整の後、第1弾の活動を7月1日(月)?3日(水)の2泊3日で、第2弾の活動を8月16日(金)?21日(水)の5泊6日で実施。
立教卒業生とのつながりを生かしながら、旅館や観光協会、寺院?神社、観光名所の公園などで、それぞれのニーズに合わせた活動に取り組んでいます。
授業のゲストスピーカーとして話す宇野さん
そんなときに見つけたのが、このプロジェクトの募集。一人で応募するには勇気が要りましたが、勢いに身を任せて応募したのを覚えています。その後、無事に採用されて、5泊6日での参加が決定。気合が入りました。
私は被災経験も、被災地に行ったこともありませんでした。和倉温泉駅に降りて、目の前に広がった初めての「被災地」の光景に言葉を失う私。隆起した地面やはがれたタイルに何度もつまずきました。自分の体が、和倉に何度もぶつかりました。
青林寺の中庭整備
午後は副住職からの提案で「坐禅体験」と青林寺の名物になっている「リフレクション撮影※1」をさせていただくことに。リフレクションのその美しさに、素直に感動したのを覚えています。一方で、「ボランティアってこれでいいのかな?」とも思いました。
※1 鏡面テーブルに中庭の美しい景色を反射させて撮影する拝観者に人気のアクティビティ
信行寺での草刈り
暑さにだんだん体力が奪われてゆく中、作業時間も残すところ2時間ほどになった頃だったと思います。それまで私たちによそよそしかった受け入れ先の女性が、差し入れを持ってきてくれたのです。アイスをひとり2個。私は単純に困りました。「溶けちゃうよ???」と思いながら、2つ頂いたのを覚えています。アイス休憩中、女性が不意に自分語りをはじめました。初めて会った私たちに、どうして急に自分のことを話そうと思ったんだろう。私の中でまた新たなもやもやが生まれました。
立教チームとして目指すもの=“VISION”を創る
私たちのチームの目的は、「令和6年能登半島地震における災害被災地の復旧?復興に、立教チームとして貢献する」こと。頭では分かっていたはずなのに、実際に現地での活動をはじめた私は、何がどうなれば貢献と言えるのかを見失っていきました。「貢献」という2文字があまりにきれいで大きすぎて、その実体を掴むことができずにいたのだと思います。身体を動かし、現地の声に接する時間が増えるほど、“何のために、何をすべきか”がわからなくなってしまいそうでした。もっと明確で、チームのメンバー全員が意識できるような、そんな手のひらサイズの目標を求めていました。
私の違和感は、すでに動いているプロジェクト自体を批判するもの。今から何かを変えられるとは思っていませんでした。だからこそ、この感情をどうすれば良いのかを迷って悩んで。見ないふりもできましたし、今までの私だったらきっとそうしていました。
迎えた3日目夜。「私たち」のもっとミクロな“目指すべきもの”を、どうにかしてメンバー全員で描けないかと、元気さん(同行したボランティアコーディネーター)に話してみることにしました。自分の想いを誰かに伝えることが苦手だったのに、そんなことなんて気にならないくらい、熱く語っている自分がそこにはいました。
後押しを受けた、その日の振り返りの時間。私一人のものだった違和感のストーリーを、プロジェクト全体に関わる提案を、他のメンバーに初めて共有しました。どうしてこう思ったのか、これからどうしたいのか。秘かに、めんどくさいと感じた人がいたかもしれません。ですが、メンバーみんな、首を縦に振ってくれました。
私のストーリーから、私たちのストーリーを紡いでいく日々が始まりました。私が進行役を務め、それぞれが想うチームとしての目標を共有していき、その重なりから、いくつかの方向性を確認しました。みんなの想いは同じように見えて、詳しく聞けば少しずつ違っていて。だからこそ、みんなの解釈を一致させるために、多くの時間を費やすことになりました。私自身、「自分の提案にみんなを巻き込んでおいて、何もうまくできない自分」に、押しつぶされるような感覚もありました。他のメンバーもそれぞれに、何かを乗り越えようとする日々だったと思います。
最後の夜の話し合い
私たちが目指したいものの軸は、2つ。それぞれについて、活動の場で見て聞いて感じたことから生まれた想いを、“VISION”としてまとめました。
①「和倉に対して」
和倉に対して
②「和倉に限らず」
情報発信を通じて多くの人の当事者意識を引き出し、社会全体の意識を変えていきたい、そんな想いを込めています。
和倉に限らず
元々設定されていた大きな目的(MISSION)に対して、その抽象度に惑わされないように、これらのVISION(目指すべき状態)を設定しました。これが、立教チームの行動指針となります。
VISIONを加えたプロジェクトの概要
このプロジェクトに参加して、変わったこと。
ある授業に呼んでいただき、能登での活動を伝えたときのこと。受講生からの質問の中に、「将来の夢はなんですか?」というものがありました。その時の自分にとって、一番難しい質問に思えました。しかしそこには、自分でも思ってもみなかった想いで言葉を紡いでいる自分がいたのです。その日の自分の言葉をそのままの状態で引用します。
———将来の夢は、一番迷っていて…。
夢というか、どういう人間になりたいかなって考えたときには、「いたるところに、思いを馳せる相手がいる人間」になりたいっていうのが、すごく根底にあります。
どこかで何かが起こったときに、そこに想いを馳せる機会があればあるほど、“人とのつながりを感じられる”じゃないですけど、“自分が生きてきた証”がすごくそこにはあるなっていうふうに思ったので、それをひとつの軸として、職業だったり、職種を選びたいです。
他の何かに目をくらませることなく、今のこの価値観を大切にできる生き方ができればなと、今は思っています。答えになっているかわからないんですけど。———
私はこんなことを心の底では考えていたのかと、自分でも驚かされる不思議な時間でした。今回の経験が、自分が思っている以上に私にとって大きなものになっていることに気づきました。自分も知らなかった自分が教えてくれた素敵な生き方を、大切にしたいと思います。今のこの気持ちを忘れることなく、これから先も日々を愛でながら、丁寧に、着実に、生きてゆきたいと思う次第です。
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